風俗史。
5月11日(日) 雨のち曇り
今日は、ある方から、「毎日読んでますよ」っと、声をかけられて、
非常の恥ずかしいというかなんとも複雑な気持ちになった。
読んでいただいているということで、なにかテーマに沿った話をしてみようと思い、
今回は、「風俗文化」の歴史について、何回かにわたって連載しようと思う。
「風俗」。現在では、AV(アダルトビデオ)とか、ソープランド、ヘルスとって類になるが、
極めて、文化的側面からその歴史を追ってみたい。
今日は、序章ということで、江戸時代における風俗文化の入り口の話をする。
東の「吉原」、西の「島原」。吉原は現在でもそうしたお店が軒を連ねている。
吉原大門は今は交差点になってしまいその門はないが、かつての花魁文化の
余韻を残す。
して、島原は、京都の下京区にある島原大門付近。今は、そうした店はないが、
かつての島原の座敷の跡となる建物はあるようだ。近現代になると、政治屋たちの
密談の場所ともなったらしい。
この2場所とも、江戸時代の遊郭である。
吉原については、樋口一葉の「たけくらべ」の舞台ともなっているので、
結構有名だと思うがそれに対して、京都の島原は意外に知られていないのではないだろうか?
京都の島原というと、大石内蔵助が仇討ちまでに世間を欺くために遊んでいた場所という
印象が著者には強いが、近世の話なので、現代のようなエロス的要素は薄いと思う。
それと、京都の島原というと、近藤勇が京都で守護職で滞在した時代に、島原の女郎を
側室としていたということは、大河ドラマでも描かれていただろう。
要は、江戸時代、性風俗的サービスの盛り場は必要不可欠だったということが結論として
言えるだろう。
さて、京都の島原、江戸の吉原を比較してみてみたい。
吉原は江戸幕府によって公認された遊郭。1612年。
島原は歴史は古く、起源は安土桃山時代の天正年間に京都二条の柳町に
造られた遊郭に始まり、島原へ移る。
島原の名前の由来は、島原の乱にある。
基本的に、太夫が遊女の最高峰とされ、遊女にはランクがつけられた。
吉原の場合は、これが「花魁」と呼ばれるようになる。
あ、遊郭は日本に江戸、京都のほか、長崎にもあったという。
現在、吉原や島原で花魁祭りや太夫のパレードのようなイベントが
行われて、当時の豪華絢爛な文化を芸術的に楽しめるけれど、
現代に当てはめれば、超人気AV女優なり、最高月給の風俗嬢が
パレードするようなものなので、文化的価値って、あまり無いようにも思える。
あと、吉原の貴重な資料で、吉原の資料館なんかに行けば拝見できるのでしょうが、
今で言う、エロ本、ポルノ写真となる、浮世絵とか、絵が現存するんですよ。
テレビで見ました。
男性と女性の性的行為を描写した絵ですね。モザイクかかってました。
遊郭なんて、金持ちの行くところで庶民では無縁ですからね。
年頃の男性が自慰行為をするのには、やはり、エロ本ならぬ、エロ絵なんでしょう。
でもそのエロ絵も値段は相当したんじゃないでしょうかね。
写真より、絵のほうが、後々、芸術的に受け留められるので江戸の文化ですよ。
と、つらつら書いてきましたが、次回は、島原か吉原について詳しく見ていくことにします。
今日は、ある方から、「毎日読んでますよ」っと、声をかけられて、
非常の恥ずかしいというかなんとも複雑な気持ちになった。
読んでいただいているということで、なにかテーマに沿った話をしてみようと思い、
今回は、「風俗文化」の歴史について、何回かにわたって連載しようと思う。
「風俗」。現在では、AV(アダルトビデオ)とか、ソープランド、ヘルスとって類になるが、
極めて、文化的側面からその歴史を追ってみたい。
今日は、序章ということで、江戸時代における風俗文化の入り口の話をする。
東の「吉原」、西の「島原」。吉原は現在でもそうしたお店が軒を連ねている。
吉原大門は今は交差点になってしまいその門はないが、かつての花魁文化の
余韻を残す。
して、島原は、京都の下京区にある島原大門付近。今は、そうした店はないが、
かつての島原の座敷の跡となる建物はあるようだ。近現代になると、政治屋たちの
密談の場所ともなったらしい。
この2場所とも、江戸時代の遊郭である。
吉原については、樋口一葉の「たけくらべ」の舞台ともなっているので、
結構有名だと思うがそれに対して、京都の島原は意外に知られていないのではないだろうか?
京都の島原というと、大石内蔵助が仇討ちまでに世間を欺くために遊んでいた場所という
印象が著者には強いが、近世の話なので、現代のようなエロス的要素は薄いと思う。
それと、京都の島原というと、近藤勇が京都で守護職で滞在した時代に、島原の女郎を
側室としていたということは、大河ドラマでも描かれていただろう。
要は、江戸時代、性風俗的サービスの盛り場は必要不可欠だったということが結論として
言えるだろう。
さて、京都の島原、江戸の吉原を比較してみてみたい。
吉原は江戸幕府によって公認された遊郭。1612年。
島原は歴史は古く、起源は安土桃山時代の天正年間に京都二条の柳町に
造られた遊郭に始まり、島原へ移る。
島原の名前の由来は、島原の乱にある。
基本的に、太夫が遊女の最高峰とされ、遊女にはランクがつけられた。
吉原の場合は、これが「花魁」と呼ばれるようになる。
あ、遊郭は日本に江戸、京都のほか、長崎にもあったという。
現在、吉原や島原で花魁祭りや太夫のパレードのようなイベントが
行われて、当時の豪華絢爛な文化を芸術的に楽しめるけれど、
現代に当てはめれば、超人気AV女優なり、最高月給の風俗嬢が
パレードするようなものなので、文化的価値って、あまり無いようにも思える。
あと、吉原の貴重な資料で、吉原の資料館なんかに行けば拝見できるのでしょうが、
今で言う、エロ本、ポルノ写真となる、浮世絵とか、絵が現存するんですよ。
テレビで見ました。
男性と女性の性的行為を描写した絵ですね。モザイクかかってました。
遊郭なんて、金持ちの行くところで庶民では無縁ですからね。
年頃の男性が自慰行為をするのには、やはり、エロ本ならぬ、エロ絵なんでしょう。
でもそのエロ絵も値段は相当したんじゃないでしょうかね。
写真より、絵のほうが、後々、芸術的に受け留められるので江戸の文化ですよ。
と、つらつら書いてきましたが、次回は、島原か吉原について詳しく見ていくことにします。
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